インターネットが普及し、日本は他に類を見ないほど便利な国となった。どこに住んでいても好きなものが手に入る。モノとヒトの距離が近くなり、情報とヒトとの距離が近くなった。いまだ空飛ぶスポーツカーは発明されていないが、その技術発展は昭和の時代や平成初期には考えられなかったものだろう。
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iPhoneなどの通信機器が新たに生み出され、どこにいても最新の情報が手に入るようになった。更に加速する情報社会の形体変化と、それに伴って人間社会に生じる歪み。街を見渡せば誰もが下を向きながらスマートフォンを操作し、耳にイヤホンをしている。
情報と人との距離が近くなった反面、人と人との距離が遠くなっている。
米Apple社の元CEO・故スティーブジョブズが21世紀に残した功績は偉大だ。彼が残したものは、明白に世界を光の方向へ導いている。問題は使用者のホスピタリティである。一過性の情報に振り回されるのではなく、常に正しいものの見方で課題を解きほぐして生きたいものだ。
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Contents
ウズベキスタンの話
ここウズベキスタンでなされる情報交換のほとんどは会話によって行われる。わたしも時々テレビを見るが、垂れ流しの情報に有益なものはほとんど無いように思う。対話によって情報の正誤をぶつけ合い、ひとつの結論へと導くのがウズベク流。それゆえ状況展開の一つひとつがゆっくりなされてゆく。
それは戦後復興が進められる70年前の日本でも同様に行われていたはずだ。
さてここから本題!
ここでひとつウズベクあるあるを紹介したい。例えば新しい職場環境に飛び込んだと仮定しよう。彼らから発せられる第一声はいったいなんだろうか?
それは「写真を見せて」である。
わたしが日本人だから、その写真を見たい、というわけでもないようだ。彼らにはなぜか3次元的なものより2次元的なほうが好まれる。
そして一枚一枚に評価を下してゆく。
「どれどれ、これはキレイね!」
「この写真は消しなさい」
いまここで出会ったあなたになぜ写真を消せと言われるのか。
赴任当初は彼らとの距離感をうまく保てずに、内面へこもりがちになっていたと思う。
またこんな場面にも出くわした。
わたしが教室でスマートフォンの写真を整理していると「それはタシケントの写真かい?」と声を掛けられ、そんな彼の顔はわたしの横3cm。
「近い近い近い!!」と思わずけん制してしまう。
「どれどれこの写真は面白いね!」と相槌を打つ左の彼の体は、わたしとほぼ密着している。
まとめ
ウズベキスタンで感じる70年前の日本。ものや情報との距離は遠いが、ヒトとヒトの距離が近い。そしてその中で生じる摩擦は当然のように受け流す。
物の貸し借りは当たり前。返ってくることは稀。
それでもここの国の人々は、いまの日本人が忘れがちなヒトのつながりの大切さを思い出させてくれる。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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