【断捨離】目標を達成するためにわたしが捨てた5つのもの。【競技スポーツ】

ライフハック

アッサローム・アライクン、YUJI( @sugisshu )です。

本日のテーマは「自己内対話」です。わたしは現在海外で生活しており、それはかねてからの願いであり目標でした。現地での生活も佳境に差し掛かかろうとしています。今日はその目標を達成するためにわたしが捨てたものを紹介したいとおもいます。

全てのことをそつなくこなすことの弊害

学生のとき友人から「キミは何でもそつなくこなせるよね」と言われたことがあります。この言葉を嬉しいと思う反面、内心複雑な気持ちでした。なぜかというと「そつなくこなせる=特徴的なことがない」と考えてしまっていたからです。彼女の言葉を裏を返せば、もっと突出した特技を身に付けるべきだ、とも捉えられます。

学校を卒業し社会人として働き出すと、自分の力の限界を知ることになりました。どれだけ注意を払って仕事をしてもミスが続き、同僚が全員敵であるかのように思っていたこともありました。そして学生のころは無限にあるかのように思われていた時間も、年齢を重ねるごとに有限であると気づくようになります。

経験を重ねると新人のころに繰り返していたミスが少なくなり、部署の中堅として責任のある仕事も多く任されるようになってきました。しかしそれと同時に、有限である時間のなかで、やりたいことが無限に湧いてくるのでした。

個人のもつ能力には限界があります。例えば自らのキャパが100あるとすると、仕事に70以上費やし、残った30を趣味にかけるひともいるでしょう。わたしはそこで、自分の習慣を排除していくことにしたのです。言い換えると【辞めたことリスト】とでもいうのでしょう。ここ数年で辞めたことをいくつか紹介しますね。

辞めたことリスト

スポーツ

わたしが通っていた高校は部活と勉強を両立している学生の多い、いわゆる【文武両道】を掲げる学校でした。中学のときにはバドミントン、高校では硬式テニスなどの競技スポーツを経験しましたが、公式戦でわずか1勝もあげることができませんでした。当時の身体能力やモチベーションなども関与しますが、それでも活力のある10代のころに勝ちの経験がないことは命的ともいえます。

そのとき自分には競技スポーツのセンスや才能がないことに気がついてしまったのです。運動することは好きでしたから、その事実に気が付くことはある意味、死刑宣告のようなものでした。好きなことを続けても結果に繋がらない、だけどスポーツは続けたい。常にジレンマを抱えていました。だから高校卒業後にはあえて体育授業がないところを選びました。苦手だからやらないというのは一種の逃げだったのかもしれません

しかしこのころから生活が好転していったのです。できないことを続けて劣等感を味わうより、できる分野で努力し、結果を出すほうが絶対精神衛生上いいはず。苦手を補う努力より得意を伸ばすことのほうがモチベーションも高くなります。生涯スポーツとして継続はしても、競技としての運動はしない。このときそう誓いました。

対戦相手のいるスポーツではなく陸上競技や吹奏楽などに目を向けていればもうすこし結果が違ったのかもしれませんね。

音楽を聴くこと

昔から音楽を聴くことが好きでしたから、母親に連れられてオーケストラを観に行ったり、自分でアコースティックギターを買って練習したりしていました。いつでも音楽に触れていたい。容量の大きいiPodに好きな音楽をいれて持ち歩く。そうすることで満足感を得ていたのです。音楽と一緒にいることがある種のアイデンティティだったのです。社会人のなってからは月1回以上ライブ会場へ行き、その空気感を満喫していました。

しかし海外に住むようになってその状況が一変しました。

そもそもインターネット回線がなく、情報収集のほとんどは口コミという地域です。YouTubeでのんびり音楽を聴く、なんてことが不可能に近い状況となりました。日本の音楽を聴くためだけにネット回線の良い首都まで上京していたこともあります。そんな音楽中毒のような状態に終止符を打ったのが、iTunes聴き放題サービスでした。

どこでも音楽をダウンロードし放題のこのサービスは、わざわざ店舗でCDを借りて来たり、AmazonでCDを購入したりという時間の制約を取り払ってくれました。海外でも日本の最新の情報に触れる事が出来ます。月額量金を払えばダウンロードし放題ですから、飽きるまで音楽を聴きいていたのです。すると不思議な変化が起こりました。

ある時から全く音楽を聴かなくなってしまったのです。

正確にいうと【味わう】ことをしなくなりました。BGMとしてかけていれば満足、いっそ、音がしない無音の環境を好むようになりましたこれはどういうことかというと、多分、受け身でいることに満足感を得られなくなったのだと思います。楽器を弾いたり音楽を楽しむことはいつでも欲していますが、ただ音楽を聴くという行為をできなくなってしまったんですね。

このことで得られたこともたくさんありました。音楽を味わうように聴いていると当然その間はほかのことはできません。無音に身を置くことで目の前のことに集中でき、タスク処理能力が上がったように感じます。娯楽として多くの人が嗜んでいる音楽の時間を減らすことで、自分の時間を更に増やすことができました。

お金に無頓着であること

あなたが月に得ている収入はいくらですか?日本人はあまり公でこういう話をしませんね。本業・副業・その他の収入源があるのかもしれません。なんと日本人の多くはお金が汚いものであると考えているようです。そしてお金を沢山稼ぐことが悪であると間接的に教わってきました。 そして社会で働き始めてあることに気が付くんです。あれ?思っていたほどお金を稼げないぞ?むしろ足りない、と。

生活に困らないくらいには稼げていても贅沢はできない暮らし。それを肯定する質素こそが善であるという考え方。稼いでいる人をメディアでつるし上げ、何か悪いことをしているんではないか?と無意味な疑いをかける風潮すらあるように思います。

わたしの友人が「自分はあまり成果を出す仕事をしていない、いまでも十分以上の給料を貰っている」といっていました。ほんとうにそうでしょうか?車を持てない、割安の借家を探し、食事はいつも自宅で質素なものを。その生活スタイルで幸福感を得られるのでしょうか?幸せの定義は人それぞれですが、わたしは、もっと貪欲になってもよいと思うのです。

その友人は毎日誰よりも遅くまで残業していました。本来するべき業務以外のことまでなんでもこなす、その職場に欠かせない人材です。スキル高く人望も厚い。そう、わたしからみると彼は、力に見合った収入を得られていないのです。わたしがここで伝えたいのは、さぁみんなで給料の良い会社に転職しましょう!ということではありません。常に能力やスキルを磨き続け、収入または得るものを増やしていく努力をしましょうということなんです。

節約・貯蓄・お得。

わたしも大好きな言葉です。しかし生活を切り詰めて得たお金でいったいなにが手に入るのでしょうか?一度その意味を捉えなおすべきではないでしょうか。少なくとも税金やお金に関する知識を増やし、お金に対する主導権を握るべきと思うのです。お金に対する見方を考えるのはそれからでも遅くありませんよね。主導権を握ればお金は意外と思ったとおりに動いてくれるものですよ。

無意味なこだわり

年齢を重ねるとこだわりの強くなる人が多いです。自分の好きなことが固まって来たと言い換えられるかもしれません趣味、ファッション、異性の好みなど、こだわりを向けるジャンルは幅広くありますね。ですがこのこだわりを持つことが自分の制約を増やしていることに気がついてください。

「車といえば〜が良い」

「飲み会のときは〜が〇〇するべき」

くだらないことです。

こんなことが人生にどれだけの影響を与えるのでしょうか。

わたしは働き出してから6,7年間、短髪を続けています。学生時代は、男にしては長め、お洒落に気を使ってパーマをかけたりなんかしていました。それはそれで気分が高揚するし、気持ちを切り替えるためには良いかもしれません。しかしそのせいで毎朝セットに1時間かけるようでは泡沫転倒。30歳を目前にした今では貴重な時間を無駄にしているとしか思えなくなりました。

圧倒的に成長するためにはこだわりを捨てることが第一歩です。そしてこだわりを捨てることで捻出された時間を自己成長に使っていきましょう。

結果の出ない努力

日本人の多くが陥りがちな罠でしょう。頑張れば結果がついてくる」という間違った先入観は、主に学校教育の現場で植え付けられているように感じます。もちろん結果を明確に意識した上での努力は実ることが多いし、そのことを否定するつもりはありません。

学生時代は誰よりも長く勉強机に座り教科書を読んでいる、でも試験結果は下位。それが学生時代のわたしでした。はた目からは真面目に学業に取り組んでいるように見えるため教師も安易に指導できません。だって基本姿勢は良いんですから。学ぶ意欲はありそうに見えるし、授業態度も悪くない。

どうして結果に繋がらないのだろうと悩んだこともありましたが、「頑張れば結果はついてくるはずだ」という固定観念から抜け出すことができず、ただただ教科書と向き合っていました。その間違いに気がついたのはここ2,3年のことです。

「結果を出さなければ、何もしていないのと同じ」

このことを自分でお金を稼ぐようになりこのことを身にしみて感じるようになったんです。いいかえると、結果の出ない努力は時間の浪費、ともいえるかもしれません。時間は有限ですから、自分のしたいことをするためには、成功する方法、手順を知ることが先決かもしれません。

どうすれば選別できるか

わたしはできることを増やすために、するべきではないことを減らし、できることを洗練させていきました。最後にその手順を紹介しますね。

①目標設定:なりたい理想像を探す、見つける。

②能力評価:なんの能力や知識、経験が足りないのかを精査する。

③展望考察:どれだけの時間をかけられるか吟味する。

④取捨選択:思い切って必要ないことをやめる。

はじめることよりも辞めることのほうが勇気がいります。だってこれまでの安定した生活スタイルを崩すわけですから。けどそれが自分を成長させるはじめのいっぽなのかもしれません。

まとめ

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(フェルガナのコンサートホール)

以上が目標を達成するためにわたしが捨てた5つのものでした。

この記事で最初に提示したテーマは自己内対話でしたね。全体を通して辞めるきっかけは自己内対話の過程を経ているのです。なぜやめようと思ったのか?本心では全て生活習慣のなかにおいておきたいもの。だけど限られた時間と能力の中で、全力を注ぐジャンルは絞ったほうがいいのです。

なにかを始めようと思っているかたは、まずなにを辞めるか考えるところからはじめてみるといいのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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