アッサローム・アライクン、YUJI( @sugisshu )です。
高校のときに部活で怪我をし理学療法を受け、それ以来あこがれの職業となったというひとも多いと思う。またリハビリテーションを題材とした映画やドラマも作成され、漫画「リアル」を読んで志すことを決めたという友人もいた。
徐々にメディアへの露出が多くなり、活躍の場が広がるとともに、需要と供給のバランスが崩れ始めていることも懸念し始めたこの業界。理学療法をはじめとしたリハ系職種を目指す学生たち・また1~2年目の後輩へのアドバイスとして、わたしのこれまでの経験を踏まえ、3つのアドバイスをしようと思う。
国家試験は通過儀礼である
大学や専門学校などおおくの養成校が発表している”国家試験合格率〇〇%”という売り出し方。合格率が高いということはそれだけ質の良い教育をしていることとであり、これが入学を決めるひとつの目安であることは間違いない。
ここでひとつ例を出してみよう。
入学時の定員が80名であった要請校の、国家試験合格者は40人だった。このときの学校側が提示した合格率は”82%”だった。入学時から国家試験合格者までの割合で考えると50%付近になるはずである。つまり、合格できそうな学生しか国家試験を受験させないのだ。合計半年間にわたる長期実習、または学内試験でふるいにかけていくのである。
そこに残れた学生しか国家試験を受けさせず、結果として提示するのは表面的な合格率である”82%”だったのである。もちろんこのことは医療業界全体のレベルを一定水準に保つためには当然のことであり、むしろどんどん推奨していくべきある。
しかし表面的な合格率だけをみてもその要請校の魅力はイマイチ伝わらない。
そして国家試験に合格した40名は就職を決め、臨床現場へと入ってゆく。
しかし日々の臨床を続けるある日、高い壁にぶつかることとなる。その壁は「国家試験で学んだ知識が通用しない」ということである。なぜかというと理学療法の国家試験(に限らないかもしれないが)とはおよそ最新の現場・知識とはかけ離れたひとが作成しているのである。だが臨床現場に立つためには彼らが作った試験を通過しなければならないのも事実だ。ここにギャップが生じ、同資格を所有者でも、もっている知識や技術がまったく違うセラピストが生まれてしまう原因はここにある気がする。
本当の勉強は臨床現場に出てからであり、患者・利用者こそ師である、ということを念頭においてもらいたい。
資格に甘んじてはいけない
理学療法士を目指そうとする学生からよく聞くのが「国家資格だから安定している」との声だ。その気持ちは良くわかるし、わたしも学生の頃は同じように考えていた。高齢社会では常に一定の需要があるし、安定して働くことができる。給与の面でも、贅沢はできないが生活に困らないくらいの収入は得られる。臨床現場にたつものの多くも同じような考えているかもしれない。
そんなひとは本当に安定しているのかを考える必要があるかもしれない。そもそも日本という国だって安定していないのではないか。安定、安定っていうけど、それってつまり”思考停止”なんじゃない?そして多くの理学療法士がフィールドとする病院は、基本的に危険なことがなく、安定していなければならない場所だってのもひとつの理由だと思う。
わたしが思うに本当に安定していて財産となるのは、理学療法に関わる思考過程である。理学療法士は「病態から発生する身体の機能障害に対し、適切な評価から問題点を抽出し到達目標を立て、治療アプローチや環境設定を行う」ことを業としている。そこにはICFやICIDHといった生活機能分類の違いはあるが、ベースは、現状から課題を見つけて、対象者の最大限の幸福を目指すことである。
つまりこれって、どの業種にも通用する考え方だと思うのよね。
理学療法士の資格を持っているから安定して働ける、じゃなくて、理学療法でベースとなる思考過程は、今後生きるうえでの根幹になることである。と考えるべきなんじゃないかなと思います。だからひとつの職場にとどまらずいろんな経験をしてみるべきなんです。
国際的視点をもつべきである
わたしはいま協力隊員として国外の医療分野で活動しています。日本との文化の違いから、毎日のように驚かされます。リハビリテーションに対する理解が浅いわりには、運動をしたほうが体に良いという認識は強いんです。そしてたくさんの現地人がわたしに運動アドバイスを求めてきます。「この運動の仕方だと体によくないから、こう変えてみましょう。」なんて一著前に。
なんていうと結構上手に活動しているように聞こえるかもしれませんが、最初の1年間は苦悩の連続でした。なんでこんなふうに怒られるのかわからない。同僚も学校で勉強してきているはずなのに、使える知識が全然違っていたりする。その理由がわからず、かつ自分の活動、もとい生活に不安を感じ、精神状態が不安定になったこともありました。自殺未遂、とまではいきませんが自傷行為に走ろうと思ったこともあります。
その時期を乗り越えたいま感じるのは「知識って絶対的なものではない」ということでした。文化背景や環境・歴史に大きく左右されますし、わたしが活動しているウズベキスタンの医療は、良く言って日本の戦後レベルでした。しかし、いまこのフェイズにある医療を体感できたことは貴重な経験であり、日本でフィードバックしていく必要があると思います。
そう、知っていることと体験したことは全く厚みが変わってくるのです。
日本国内で経験・実績を積むのももちろん素晴らしいことだと思います。あなたが担当した患者の数だけ幸福なひとが増えたんですから。けどその経験を、すこし日本以外の国へ向けてみませんか?
まとめ
以上、いまわたしが若いセラピストへ伝えたい3つのことでした。否定的側面を多く書いてしまいましたが、それでも理学療法士の仕事は面白く、人生をかけてチャレンジさせてくれるものと思います。
文体がまばらですが、いいたいことは伝わったかなーと思います。
最後にもういちどまとめておきますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これであなたも理学療法士。
国家試験は通過儀礼である
資格に甘んじてはいけない
国際的視点を持つべきである
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