こんにちは、YUJI(@wish_yama)です。
ここで公表するのもなんだかアレなんですが今日10月4日はわたしの誕生日なのです。「ほしい物リストを公開するのでプレゼントを送ってほしい!」なんていうつもりもないので安心してください。
ですが実はここ数年、自分の誕生日・年齢がわからなくなっています。 どうしてそんな状態になってしまったのか、今日はその理由を書いていこうと思います。
※脱線しがちです、閲覧注意!
それではどうぞ!
スポンサーリンク
- はじめに
- 誕生日は誰にとっても大切な日。
- 生きるのが楽しくて誕生日を忘れていた。
- いつからか自分の年齢がわからなくなってきた。
- 熱中すると年など気にならなくなる。
- ”ワクワクしないこと”などやめてしまえ。
- 好きなことを始めるのに年齢は関係ない。
- 今日のまとめ
Contents
はじめに
これじゃあ説明不足なのね、ふむ勉強になります。
すぱしーば。ありがとね誕生日っていま思い出したわ。笑
— すぎっしゅ@いま北海道🇯🇵 (@wish_yama) 2017年10月3日
昨晩、Twitterで友人からこんなメッセージをもらい今日が自分の誕生日なんだということを思い出しました。28歳といえば仕事に脂がのってくるころですよね。職場や環境によっては各部署からの信頼も得られ役職がついて部下ができ、家庭では子供ができて……なんて時期かもしれません。
わたしは”今年も”自分の誕生日をすっかり忘れていました。ここ数年その傾向がかなり強いのです。友人やひとの誕生日は結構覚えているのですが、自分のことに関心が薄くなりつつあります。今日は、なぜわたしがいまそう感じるのかを書いていきたいと思います。
「若年性認知症が進んでしまって……」
というような内容ではないので安心して読み進めてください。
誕生日は誰にとっても大切な日。
誕生日というのは誰にとっても大切で特別な日だと思います。特に小学生や中学生のころには誕生日に学校でお祝いしてもらったり、家族で外食をした、なんて思い出のある人も多いはず。そして何といっても”誕生日プレゼント”をもらうことができるのはとても嬉しいものですよね。わたしも小さいころには「今年のプレゼントは何をお願いしよう……」なんて夜な夜な考えていたものです。
しかし年齢を重ねるとともに体がいうことをきかなくなってきたりして”年齢を重ねるのがいやだ”と思うひとも多いはず。そうなると誕生日だからといって多腕を振って喜ぶことも少なくなってくるのかもしれません。
高校生のころには、
”早く20歳になって大人の仲間入りをしたい”
と考えていたのにいまとなっては
”30歳になりたくない”
なんて真逆の発想をしてしまう自分もいます。
また余談ですが、わたしが青年海外協力隊員として暮らしていた地域には10月生まれの日本人が多かったので、お互いに持ち寄ったプレゼントを交換する日がありました。歳を重ねてくるとこのように”他者との繋がり”の中でしか自分の生まれた日を意識しなくなってきます。
どのフェイズであろうと大切な日であること間違いありませんが”誕生日が持つ意味合い”は年齢を重ねるごとに変わってくるのです。
▼各国で誕生日の祝い方は違いますよ。
【誕生日】わたしがしてもらった誕生日を思い出し、そして今度は生徒の誕生日を祝福する – YUJImediaシーズン2
生きるのが楽しくて誕生日を忘れていた。
衆議院が解散し、北朝鮮によるミサイルの脅威に晒され、にゃんこスターが大躍進を果たした2017年の誕生日ですが、実は自分の誕生日が10月であることをすっかり忘れていました。正確にいうと忘れていたのではなく意識しなくなっていた、もっといえば、
誕生日が特別な日ではなくなってきているのです。
この傾向はここ数年続いており、その度に考えるのは「今年で自分は何歳になるのだろう?」ということでした。
誕生日おめでとう!
と相変わらず連絡をくれる友人にはいつも感謝しているし、彼らとの関係は今後も続くことを祈るばかりですが、いかんせんわたし自身に歳をとった自覚がないのです。
それはなぜかというと”生きるのに精一杯で年齢を考える暇もないくらい楽しい”からなんですね。
▼人生の梶をとるのはいつでも自分です。
【ロシア留学】10歳年下の大学生と寝食をともにし、彼らから教わった人生における3つの教訓。 – YUJImediaシーズン2
いつからか自分の年齢がわからなくなってきた。
ここ数年は誕生日がいつだかわからない現象に陥っていましたが、もっといえば”自分の年齢もわからない”のです。
なぜ自分の年齢もわからないような状態なのか分析してみると、わたしは平成元年の生まれなので今年で28歳になるのですが、普段関わっているひとたちはおおむね32~38歳くらいの先輩方です。
ひと回りも年上ではありませんが間違いなく自分より多くの人生経験を積んでいる人たちですから、学ぶこともたくさんあります。そんな人たちと一緒に生活・活動しているとふとしたときに、
「あれ?自分はいま35歳なんじゃね?」
と思い込んで錯覚してしまうのです。それは35歳になったときこの人のようになっていたい!という憧れだけではなく、あたかもその方々と同年代のような心持ちでいてしまうのです。
そしていつからか、自分はいま何歳なのかわからなくなってしまったのです。
熱中すると年など気にならなくなる。
自分の誕生日・年齢がわからない、意識しない状態というのはどうすれば陥るのでしょうか。過去を振り返ってみるとこの3年間は海外生活を送っていたりその準備をしていたりでとても忙しく、そして状況がほぼ30日間周期で変わっていきました。
その都度置かれた状況に適応しなければならずもちろん大変な思いもしましたが、それがすごく楽しくて熱中していたのです。はじめのうちは大変だと思っていた環境適応も慣れてしまえばワクワクする要因のひとつになっていたのですね。
都度目の前に置かれた課題をこなしあたらなステップへと登っていく、このサイクルってめちゃくちゃ楽しいんですよね。
だからわたしはそのときの自分に熱中していたのです。
▼台湾では生きることに必死でした。
【極貧生活】所持金ほぼナシ!価値のないところに大きな対価が生まれるそんな経験をしました。【台湾】 – YUJImediaシーズン2
”ワクワクしないこと”などやめてしまえ。
日本に帰ってきてから少しだけ古き友人たちとも再会しました。彼らはいまの会社員としての生活に満足しておらずできることなら他の仕事をしたいと口々に言いました。でも会社や家族のことがあるから簡単には状況を変えられないとのこと。彼らが日本社会を回していることはわかるし感謝もしています。
わたしも日本の会社(一般にイメージする会社員とは違いますが……)を4年ほど経験しましたが、当時の自分を振り返ると友人たちと同じようなことを考えていたなぁと思います。
「いまは状況が状況だから……」
と理由になるようでならないようなことを口にしていました。
事前準備を徹底していたことやタイミングがよかったこともあり、青年海外協力隊員として派遣されることが決まりましたが、全ての任務が終わったいま、元のような職場環境には戻ることができないなぁ、と思ってしまいます。
なぜならそこには”ワクワクすること”がないんです。
社会人として生活に必要なお金を稼ぐことはできるし人間として成長させてくれる職場環境だったなとは思っています。しかし毎日のなかでワクワクする時間が極端に少なく「ほんとうに社会貢献できているのだろうか……」といつも考えていました。
AI(人工知能)が発達した未来では”ワクワクしない仕事”の多くは機械任せになるでしょう。だってその方が効率が良く生産性も高く、お金もかからないのだから。もちろん人の手でしかできない仕事も多くあるのですべてが取って代わられることはないでしょうが、日本にある半分近くの仕事はなくなるのではないかと予測しています。
でもそれの流れを悲観する必要は一切ありません。
だって「つまらない仕事」を機械に任せて人間は「ワクワクすること」だけに集中・熱中すればいいのですから。2025年に向けて人口が減少し労働者不足が予想されているのですから、単純作業は機械に任せてしまう方が生産性が高く、豊かな社会を作ることができるのです。
だからわたしは自分の誕生日を忘れるくらい熱中できるものを探し、それが仕事になるよう努力すべきだと思うのです。
▼ホリエモンはいつもワクワクさせてくれますね。
【ホリエモン】北海道でのロケット打ち上げが延期となったので概要を調べてみました。【行ってみた】 – YUJImediaシーズン2
好きなことを始めるのに年齢は関係ない。
よくこんな話を聞きます。
「30代になるのだから腰を据えた仕事をしなさい」
言わんとしていることはわかります。大学卒業したての20代ならまだしも、30代になってもフラフラと自分勝手なことばかりしているんじゃない。しっかりと食べていくためには手に職をつけた仕事をしなさい、ということなのでしょう。
しかしわたしは、その指摘は半分適切で半分不適切だと思っています。
なぜならその指摘をくれる大人たちは、日本がもっとも勢いのあった”高度経済成長期”を経験している世代だからです。そのころ日本経済は世界中の歴史でも稀にみる急成長を成し遂げ、会社には終身雇用制度があり、会社が社員の生活を世話する時代でした。
しかしあれから30〜40年が経過し人口構造や価値観、生活スタイルも変わってきています。いま”10年後も間違いなく残っている会社”というのはどれだけあるでしょう。あのころ主流だった価値観はすでに今の時代には通じないんですよね。
確かに普遍的な技術や知識を身につけておくことで収入を得られるという点では適切な助言といえます。しかし「腰を据える=身につけたものを使い続ける」という考え方にはどうしても賛同できません。いま求められている能力は「どんな環境下でも生きていけるスキル」です。
その意味で考えると「腰を据えた仕事」というものがどれだけ不安定なものなのかわかりますよね。
わたしは最近、何かを始めるのに年齢は関係ないと強く思っています。
定年後から初めてインターネットに触りビジネスを成功させるひとや、70歳を超えてから語学を学びはじめて現地生活を謳歌するひとなど、年齢を重ねてから始めたことで成功するひとを何人も見てきました。彼らのライフスタイルを見るたびに自分の生き方について考えさせられます。
今日のまとめ
以上が”今日はなんの日?生きるのが楽しくて自分の誕生日を忘れていた。”でした。
久々にコッテコテのオピニオン記事を書いてしまいましたが、誕生日なので生暖かい目でみてあげてください。(都合の良い使い方)
わたしが日本で働く全国民に問いたいことは「あなたがいま熱中しているものはなんですか?」ということです。
それをいくつ持っているかが今後の生き方を左右するのではないでしょうか。
▼楽しいいことばかりじゃありませんけどねぇ。
【インスタ】「フォロワー少な過ぎっすねw」インスタグラマーから学んだSNS時代の謙虚さとは。 – YUJImediaシーズン2
最後までお読み頂きありがとうございました!
■更新履歴
2017年10月4日
コメント