【帰国】2年間の任期を終えてウズベキスタンから日本へ帰ってきました。【ご報告】

協力隊のあれこれ

アッサローム・アライクン、YUJI( @sugisshu )です。

協力隊員としての2年間の任期を終了し、2017年3月22日に日本へ帰ってきました。今回はその報告と、BLOGを通じて連絡をくださった方々への感謝の気持ちをお伝えします。

はじめに

わたしは平成26年度4次隊として中央アジアのウズベキスタンへ派遣されていました。職種は医療系専門職の理学療法士として、日本で4年の臨床経験を重ねて当国への派遣となりました。現地の公用語はマイナー言語であるウズベク語です。

ウズベキスタンはどんな国だったのか

以下に簡単な概要を記載します。

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ウズベキスタンは旧ソ連から独立したCISの一国であり、同じ中央アジアのキルギス・タジキスタン・トルクメニスタンなどと国境を接し、カザフスタンとは同地域における盟主の地位を争っているような状況です。

わたしはウズベキスタンでも最も歴史的で宗教色の強いといわれるフェルガナ地方への派遣となりました。フェルガナは2000年代に”アンディジャン事件”の起きた地域と地理的に近い関係もあり危険度が高いと外務省の情報がありますが、実際は緑が多くひとも穏やかで暮らしやすい町でした。

できたこと・できなかったこと

本当に色々なことがありました。

現地病院スタッフの働き方に辟易したり、看護師長とぶつかり合うこともしばしばありました。自分が動けば同僚は休憩に入る、休んでいたら働けと看護師長からどやされる。言葉はわからない、問題点はみえているが解決策が見当たらない。

ただただストレスを感じる毎日でした。

夜も寝れないし色々な病気にもかかりました。本気で任期短縮を考えたこともありました。自分にできることを模索し、ぶつかりあって、自分の存在意義がわからなくなることもありました。

2年目に差し掛かり、目標が変わり始めました。

「自分にはこの国を変えることはできないけれど、せめて、目の前にいるひとに楽しんでもらいたい」

そう考えることで肩の力がフッと抜けたんですね。健康第一で休まずに活動へ行く、それだけでいいんじゃないかと思えたんです。このころに入職した新人看護師とはウマが合い、彼女と一緒に働く時間はわたしにとってかけがえのないものとなりました。

同じ地域で活動する隊員の助けを借りながら、ときに助けながら、だんだんとウズベキスタン、フェルガナを愛おしく思えるようになってきたんです。

文章にすることも続けてきました。拙BLOGの総記事数は250。メディアへの2件の寄稿。ウズベキスタンの情報を多くの日本人に知っていただけたことは本当に嬉しく思います。

現在の日本に足りないもの

帰国して感じるのは、日本人には余裕がないことです。2010年代に入りインターネットも普及し、生活も便利で過ごしやすくなっているはずなのに、みんなどこか苦しそう。なにもかもがビジネスライクで温かみのようなものにかけていると感じます。ウズベク人のように生きろとは思いませんが、もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかと思うんです。

日本で暮らすには生活コストがかかりすぎるし結婚や出産にも大きなお金がかかる。

なんかおかしくありませんか?

今後はその部分を変えていくような生き方ができれば良いと思っています。

まとめ

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わたしが2年間活動するにあたり尽力してくださったみなさま、本当にありがとうございました。わたしの活動は決して明るみに出るようなものではありませんでしたが、それでも現地の人たちには日本人の存在を示すことができたのではないかと思っています。

なんだか取り留めのない記事となってしまいましたが、まずは帰国のご報告でした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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