アッサローム・アライクン、YUJI(@wish_yama)です。
継続は力なりと古くからいわれているように、続けることで新たに見えてくるものがあり、自らに起こる変化、また周囲の評価も変わっくるように感じます。BLOGの運営をはじめてから1年がたった今、見える世界は変わり続けています。
今日はそんなお話。
- BLOGをはじめたきっかけ
- BLOGサービスの変遷
- 読むことと書くことのバランス
- 先日先輩隊員から言われたこと
- これまでのわたしの生き方
- 働き出してから変わった
- BLOGを書き始めて起こった変化
- BLOGを通してひととの出会い
- まとめ
Contents
BLOGをはじめたきっかけ
わたしがBLOGを始めたのは、もちろん青年海外協力隊員として派遣されることがきっかけでした。
日本人の多くはウズベキスタンという国についてよく知りません。ウズベキスタンで2年間暮らすことになった、と友人に伝えると、まず第一声に「イスラム国は大丈夫なの?」で、次に「戦争は起こっていないの?」などのいたわりの言葉をもらいました。
”スタン”の冠名を受けるだけでこんなに友人たちや世間から心配されるのです。実は、これは家族や親戚も例外ではなく、むしろわたし自身も恐怖と戦っていました。訓練所で語学が追いつかず、訓練開始から2週間目に語学講師から退所予告を受けたのが懐かしい。
しかしウズベキスタンへ赴任し、しばらくしてから「ウズベキスタンはみんなが案じてくれたほど危険な国ではない」ということに気がつきました。もちろん日本にいるよりは治安が悪いように感じるし、事件に巻き込まれそうになったこともある。けどそれは自己防衛できることです。
■わたしがこのBLOGをはじめようたのは、ウズベキスタンを、皆か知らない国から、意外と多くのひとが知っている国にしたいと思ったことがきっかけです。
なんたって、今回のリオ・オリンピックのボクシング種目で4つも金メダルを獲っているんだぜ!!
つまり1人でも多くのひとにウズベキスタンの情報を、更にいうとフェルガナのことを知ってもらいたかったのです。
BLOGサービスの変遷
BLOGをはじめるといいつつも、はじめに悩んだのは、どのサービスを使うかでした。条件は「通信環境が悪くても安定して使える」「維持にお金がかからない」でした。
■まずはじめたのは芸能人ご用達のアメブロ。
しかしあまり自由度が無く、自分のBLOG感が無かったので利用開始から3ヶ月でやめてしまいました。
■次に乗り換えたのがFC2ブログでした。
使い勝手はよかったものの、なぜかウズベキスタンからはアクセス障害が頻繁に起こってしまったため、やむなくこれも3ヶ月くらいでやめてしまいました。
■そしていまははてなブログの有料版を利用しています。
インターネット上のサービスに年間7200円、2年契約で14400円は果たして高いのか。それはわたしの任期が終わる2017年にわかるはず。いまのところすでに元を取っていると思っています。
後、半年はこのままはてなブログを使う予定だけど、次は念願のWordPressかなぁ。
読むことと書くことのバランス
日本で働いていたときは、とにかく本を読むことが好きでした。毎日大型の本屋へ足を運び、新作を探しては購入し、自室には常時5、6冊の積ん読……常になにかをインプットしようとしている脳の状態は、当時、非常に心地が良かったのです。
しかし途上国へ来てしまうと、日本の書籍を目にすることがもちろん少なくなります。首都のボランティア・ルームにはたくさんの書籍があります。帰国する隊員の置いていったのもなので、最新作等はもちろん置いていません。小説なんかは多少古くても、面白いのはたくさんあるけどね。
インプットする材料が少ないのであればと発想の転換をし、ブログを書きつづけること、つまりアウトプットを続けるように、生活のリズムを変えてみたのです。それがここでの最適解でした。
先日先輩隊員から言われたこと
同じ地方の隊員同士でよく集まり、食事や世間話をしています。
活動の話、趣味の話にとどまらず、これからの人生の話まで。
インターネット環境の不自由なこの場では、おもな情報源は口コミ、日本にいてはまず味わえないような貴重な体験ですね。
先日、先輩隊員からあることを聞きました。
「すぎちゃん(わたしのアダ名)、最近、自分の意見をはっきり言うようになったよね」
それはどういうこですか?と聞き返すと、
「良くも悪くも。これまでは同意するだけのことが多かったから」
これまでのわたしの生き方
このときのやり取りをわたしはこう分析しました。
思い返してみれば学生時代はいつも、どうすれば周囲の環境にいかになじめるか、場の空気をどう保とうかと考えていました。
(それ自体が困難なことであったのは、また別の話。いつか公にできるように。)
他のひとにあわせたいがために、自分の意見を押し殺すことも多々。それを続けているとどうなるでしょう?”自分の意見”というのが頭のなかに浮かばなくなるのです。
学生時代、実習中に指導者からよく言われたことは「君は自分の意見が無いね」でした。ただその言葉の意味を、そのときは全く理解できていなかったのです。
自分の意見ってなに?
考えを持つことより、良い知識を蓄えることが大切なんじゃないの?理学療法の実習は理不尽なことが多いし、このくらいは耐えるしかない。そんな風にその場しのぎで乗り切ってきました。
働き出してから変わった
最近では新卒フリーランスという働き方のスタイルが流行しているようですね。
自分の好きなことをしてお金を稼ぐのは実力がいるし、勇気も必要。わたしが21、22歳のころには考えもしませんでした。いまの世代はそれだけ柔軟な発想力と、行動力を持っているのだと思います。
■新卒で就職した先に4年間勤めました。
年々変わりゆく職場環境と人間関係。
仕事に不満を持っていたわけではないし、むしろプライベートもそこそこに、学生のときに抱いていたイメージよりも、楽しく働けていたと思います。そういった経験を持たないで日本社会の渦に巻き込まれることが果たして懸命な手段なのか、どういう風に社会構造が変化するのか楽しみですね。
だがわたし自身も、ふつふつと湧き上がる感情に目を背けることができない。なにか新しいこと、前例の少ないこと、もっといえば世界中で自分しかなしえないようなことをしたいと思いました。
BLOGを書き始めて起こった変化
わたしはこのBLOGに、人生の舵取りを任せています。
というのも、書き続けることがひとを呼び込み、新しいチャンスを運んできてくれると気がついたからです。
最初は自己満足でも良い。(わたしも今でも自己満BLOGと思っています)
記事を隅から隅まで読んでいるのなんて、母親くらいしかいないのだから。それならもっと自由にたくさんのことをアウトプットしよう、そう思い始めたのです。
自分の考えを理論立てて、できるだけ不要な感情を排除し、書くことに集中する。その作業を1年続けると、次に起こった変化は、「書くように話すようになった」ことでした。
ひとことでは理解しにくいと思います。
文章を書くときには「話すように書く」そして話すときには「書くように話す」。そうすることで感情の先走った表現にならず、内容に幅と説得力を持たせられるのです。このことが先輩隊員のいった「良くも悪くも、自分の意見をはっきり言うようになったよね」の裏づけになると思います。
BLOGを通してひととの出会い
BLOGは自己満足ではいけない。情報発信するからにはメディアリテラシーの遵守と、書いた内容に責任を持って。
といつも自らを律しているのですが、いざ書きだすと、自分の言葉を紡ぐのが楽しくて、ついつい独りよがりな内容に。それでも1日50~100人(PV)のひとたちは、わたしのことをウズベキスタンで活動している青年、と認識してくれているようでした。
先日も4年後に開催される東京オリンピックの関係者から連絡をもらったり、その他にもすでに数名の日本人旅行者をフェルガナへ案内しています。直接の面識はなくても、こうしてBLOGを頼りにしてくれている人がいると感じられることは、ほんとうに嬉しい。
まとめ
たかがBLOG、されどBLOG。
ついに誰でも情報発信が容易な時代になりました。ここで断言しましょう。
BLOGは面白い!!
継続できるものだけが味わうことのできる、極上の蜜といいましょうか、とにかく面白い。テレビやYOUTUBE、ニュースサイトで消耗するより、みずからの持つ情報を文章におこしていくほうが、数万倍面白いですよ。頭の冴え渡る感じもあります。
最近はインプットとアウトプットがほぼ同時になってきました。これはつまり学習時間がコレまでの1/2未満で済むということですよね。脳の隠れた機能が発揮されている感が強いです。
そしてPCにもやや強くなる。
このご時勢でPCを触れない、操作できないというのは、死活問題と思います。毎日触れることで苦手意識をなくしていきましょう。
締りがありませんが、この辺にしたいと思います。
1年でこんなに変化するとは思わなかった、という驚きの報告でした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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